ポンポさんを観た(ネタバレ感想と妄想)

タイトルの通り、6/4(金)から公開されている映画『映画大好きポンポさん』を観てきたのでその感想とかを書いていきます。

ブログとか書くの完全に初めてなのでめちゃくちゃ読みにくいです。

 

※以下、ネタバレをやるので未見でネタバレ厳禁の方はブラウザバック推奨です。

 

 

 

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まあどういう映画かというとハリウッドっぽい架空の街「ニャリウッド」で、超有名な

映画プロデューサーである祖父から才能もコネも全て受け継いだ天才幼女「ポンポさん」と、映画以外に何もない青年「ジーン君」、そして女優を夢見る少女「ナタリー」

を中心に、『MEISTER』という映画を作るお話です。

(まあ原作コミック有名なのでみんな読んでるとは思いますが……)

 

↓ここから感想(と妄想)。

 

まずは上映時間の話。

eiga.com

公式ページ(劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公式サイト)に上映時間が記載されてるところが無かった(あるかもしれないけど見つけられなかった)ので映画.comからの引用ですが、上映時間、90分なんですよ。

これは本当に"分かってる"と思ってて、話の中でも上映時間が90分であることは重要な

要素になってるので、そこを実際の上映時間と合わせるのはオタク心をくすぐられてしまうんですよね……

(上映後にパンフ読んだら監督のインタビューでも90分にするところはこだわっていたと書かれていましたので最高~となった)

 

 

次に、本編の話。

いきなりミュージカル風のOPが始まり、原作に無い『MEISTER』のキャスト・スタッフのインタビューシーン。

映画キャストへのインタビュー後、ジーン君へのインタビューへ移りますが、ここではジーン君が答える直前で場面転換し、原作本編スタート。

このシーンは最初「ん?」となったんですが、物語の途中で冒頭インタビューが再び挟まれ、ジーン君のインタビューへの答えが明かされるという演出でした。

 

また、原作では並行して進んでいたジーン君とナタリーの話を、敢えて片方ずつフォーカスし、『MEISTER』作るよ!ってところでシーンを戻して、今度はもう一方をフォーカスして現在の時間軸に持ってくる演出。

 

この辺の演出、実写映画での演出を用いてるんですが、原作の『映画大好きポンポさん』の2巻におけるジーン君のプロセスショット連発を意識してるんじゃないかと思って笑顔になってしまった。

(パンフレットでも監督のインタビューで演出に影響を受けた映画を挙げられてるのでそちらも見てほしい)

 

 

それからスイスでの撮影シーン。

ここは基本的に原作通りに進むんですが、原作では唐突に出てくるヤギ小屋修理のシーン(本当に唐突なんだけど原作のスピード感のおかげで気にならない)につながりをもたせるためにいくつかシーンを追加しててうまいな~と思った。

 

 

次にジーン君の同級生アラン君のお話

 この子は映画オリジナルのキャラで、超序盤にジーン君の学生時代回想に出てくるほぼ

接点がなかった陽キャなんですが、ジーン君とぶつかったときに落としたノートを拾ってくれた人という繋がりがあります(繋がりか?)。

そして大人になった2人はジーン君が撮影をしている中、銀行員として営業をしていたアラン君と偶然出くわし、アラン君から声をかけます(現実ならアラン君絶対ジーン君のこと覚えてないでしょというオモシロポイントだと思ってます)。

 

このアラン君、最終的にジーン君の映画からスポンサーが降りた時に銀行が融資できるように奔走してくれるんですが、観てる時は正直この追加要素が原作部分から浮いてるように感じてしまって「うーん……?」ってなってたんですよね。

しかし、エンドロール終わった後にもう一度考えてみると、実際の映画でもスポンサー周りで苦労しているニュースをよく見るので、その辺りの苦労を表現しつつ、

「実際はこんなことで苦労したくねーよ」という意図を込めて敢えて浮かしたのかな~という解釈にたどり着きました。

 

 

そして原作の盛り上がり部分であるナタリーのアリア。

このシーンはマジで映像になったときにめちゃくちゃきれいなんだろうなと思ってたら想像の5倍くらいきれいな映像が出てきたので最高!!最高!!最高!!(未来の悪魔)

になってしまった。

 

 

ここからは若干ネガティブな部分も混じった感想になるんですが、

まず、ちょこちょこ言われてる「声優が声優未経験の俳優である点」

正直そこまで気にならなかったんですが、Twitterで書かれてた「作品世界の中では理想のキャストを出演させているけど、実際の映画ではスポンサーの意向で声優素人の芸能人が主演になってしまうという、理想と現実は違うというのが分かる(意訳)」っていうのを

読んで、監督は敢えてそれをやることで業界を皮肉る意図が半分あったのではって解釈してる(もう半分はパンフに書いてあった「フレッシュさ」の表現を意図してる)。

  

 

それから、ジーン君の狂気性のマイルド化

原作のジーン君は、マジで映画のことしか考えてない狂人なので15秒トレーラーを任されたらその狂気のままポンポさんの納得するものを作り、『MEISTER』の編集の時もコルベット監督の助言を思い出して自分で編集を完結させる異端児っぷりを発揮します。

けど、映画の中では『MEISTER』の編集に悩んで悩んで上述のスポンサー降板という事態にまで陥っていしまい、かなり一般人っぽくなってます。

 

また、映画内ではジーン君自ら「映画以外のものを切り捨てた」と自己言及してるんですが、原作のジーン君は多分”切り捨てた"って感覚もなく映画にすべてを捧げてる狂気の男なんですよね(原作3巻でコルベット監督がジーン君のことを「映画以外すべて切り捨てた男」と表現してますがこれはあくまで他人から見たジーン君であって本人の自己認識ではないと解釈してる)。

なのでこの辺を自己言及できてしまうってのはかなり狂気が抑制されてるなという印象を受けました。

 

そういった諸々をマイルド化されたジーン君という表現については「解釈違い」ってワードが頭をよぎったんですが、これは「大衆向けに作られたジーン君」を描いて、「こういう分かりやすいのがいいんだろ?」みたいな観客に対する挑戦みたいなものを感じてしまったのでなんか納得してしまったんですよね。

 

 

上でもチラッと書いたけど映画では原作に無い部分がかなり追加されてます。

基本的に原作に無い部分の追加って演出とか以外だとネガティブなイメージしかないので、「これ大丈夫か……?」って割と不安になりながら観てたんですが、

終わってみるとその意図を感じ取れたのでめちゃくちゃいい映画だと思いました。

 

一つ残念だったのは、打ち入りパーティで花火が上がる演出を使ってしまったせいで、

そのあとのナタリーのアリア部分のきれいさが若干薄れてる気がした部分です。

あの花火、原作に無いし必要だったのかな……

 

まだ一回しか見てないので映画の記憶が薄れないうちにっていうのと受けた衝撃を残しておきたかった(あとがき)。

 

おわり